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七松八幡神社が遠い
次の目的地七松八幡神社は信長の嫡男、織田信忠が陣を張った七松城址がありました。
ただ、塚口から遠い。伊丹~尼崎直線から見てかなり迂回する形になるので正直つらかったです。
尼崎市役所とJR立花の中間くらいの狭い路地にあるので知らないと行くこともなさそうな神社です。
周辺には古い門扉や漆喰の土塀などもあったりしてなんとなく風情もありました。
慰霊碑が建立さていますが、有岡城開城後に城内に残っていた主に女子供老人630人余が小屋に押し込められ火をつけて殺害されました。
結構惨い話なのでいろいろな文献にも残っていますね。
ここからは尼崎まで南下します。
途中、蓬川緑道に入ってやっと「土の道路か。」と思ったものの、舗装とタイル敷でした。ザンネン。
阪神出屋敷駅は各駅しか止まらない駅なんですが、なんかデカい駅ですね。
寺町はみどころ多し
今回のメイン尼崎城に近づいてまいりましがその前に寺町があります。
出屋敷から線路沿いに東に向かうと貴布禰神社の鳥居がお出迎えしてくれます。
尼崎周辺のお寺が江戸期に移築されたようなのですが、それ以前の史跡もあります。
信長家臣、佐々成正の碑です。
法園寺の中に入ってすぐ左側に立派なお墓と解説札もあります(写真は勘弁)
広徳寺にある秀吉の腰掛石
中国大返しのおり秀吉が休憩に腰かけたという謂れがあります。
また、細川高国自刃跡もあるようです。
寺町の端のほうに「世界の貯金箱博物館」があるようなので外観だけでも撮ろうかなと行ってみると入場無料の会館があったので入ってみました。
尼信会館というタイガース預金でおなじみの尼崎信用金庫が運営しているらしく刀剣や模型、古地図など面白い展示でした。
お腹が一杯になったので貯金箱博物館は次回にして(次回はあるのか?)尼崎城へ。
メインの尼崎城(址)
総コンクリ新築ピカピカのお城です。
わざとらしさ満点ですが、これはこれでまぁよいのではないでしょうか。
初代藩主は戸田氏でしたがのち直系の松平氏に変わっているので重要拠点だったことがわかります。
入口に何故かチコちゃん、旧ミドリ電化会長の寄付で建設したのに入場料を取りやがりますので入館は無し。
ちなみにお城の南側に市立尼崎資料館がありこちらは無料です。
現尼崎城は江戸時代に戸田氏が建設したもので、荒木村重嫡男明智光秀娘婿の荒木村次が城主で村重が有岡城から逃げてきた旧尼崎城は一つ大阪よりの阪神大物周辺にあったといわれており(大物城)そこが今回のゴールです。
大物神社
大物と書いて(だいもつ)と読みます。
由来は大物主(おおものぬし)を主祭としている大物神社から来ており、大物城の一画ともいわれています。
大物駅の北側に大物崩れの史跡があるのでここをゴールにしました。
大物崩れとは細川晴元と細川高国の権力争いのことですが、細川晴元は三好長慶や松永久秀の主君であり本願寺顕如の義兄と、やはり麒麟に関りがあります。
今回は伊丹から尼崎を巡ってみましたが予想外に距離があり、クタクタになりました。
尼崎といえばあまり良いイメージは持たれないかもしれませんが、工場地帯さへ避ければ市街地のわりに緑地帯もあり結構散策しやすいと思います。
畿内の交通の要所なので史跡も数多いので是非挑戦してみてください。