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「麒麟がくる」最終回記念
織田信長に対して謀反を起こした荒木村重の有岡城攻めでの織田方の城を巡るコースブログです。
村重の息子・荒木村次は明智光秀の娘婿でもあったので明智光秀も因縁の相手だったのですが、大河では最初だけでスッ飛ばされましたね(笑)
織田軍は主に猪名川を挟んで東側に布陣し有岡城を攻めましたが荒木軍は10倍近い敵軍相手に一年にわたって籠城しました。
織田勢は猪名川以東の多田城、池田城、刀根山城、原田城、椋橋城(のちに塚口城も)で有岡城を包囲し持久戦に持ち込み、最後は村重が尼崎城に脱出、有岡城は開城し親族含め老若男女700名近くが処刑されました。
今回は織田方の池田城から椋橋城址までを公園や史跡を巡りながら走りたいと思います。
まずは池田城
スタートは阪急池田駅、朝早く出たかったのですが池田城址が9:00開門なのでゆっくりと出発。
商店街を通って池田城址まで。商店街の出口が能勢街道と巡礼街道分岐になっていて昔ながらの雰囲気が漂います。
池田城周辺は風致地区になっており阪急阪神東宝グループ創始者の小林一三翁の邸宅や美術館もあります。
池田城址は2000年に天守というか櫓が整備されました。
当時からかなり大規模な山城だったといわれていますが、再建後の石垣もなかなか立派で庭園風の庭が造ってあったりと散策にもってこいです。
代々池田氏が城主でしたが信長に敗北後池田氏の家臣だった荒木村重が重用され城主に取って代わりました。その後、荒木氏が伊丹有岡城に拠点を移し謀反を起こすと信長もこれを討つため池田城に入ったともいわれています。
池田城から東側にある茶臼山古墳からは当時の豊島郡が見渡せます。
有岡城もよく見えそうです。
坂だらけ
古墳の南側には池田市歴史資料館があり何故か「荒木村重の墓」があります。といっても碑石みたいなものでしかも移設です。
地味すぎて誰も知らないんではないでしょうか。
敷地内には呉服(くれは)神社の上宮もあります。
水上公園を突き抜けると能勢街道に、やっと平地になります。
そのまま能勢街道を南下すると石橋商店街と阪急石橋駅。
阪急宝塚沿線では豊南市場と並ぶ活気のある商店街です。商店街らしく物価も安い。阪大生とコラボした店舗などもあります。
すでに疲労が足に来てますが、基本的に城やら砦やらは見晴らしが設置条件になるのでどうしても高台になりますね。
阪大から刀根山城址もまた山です。
ここから豊中市
大阪大学敷地内から豊中市になります。そして敷地は山です、待兼山。
マチカネワニなる世界最大級(7m)のワニの化石がキャンパス建設時に出土しました。
キャンパス内博物館にレプリカと物本が設置してありますが、東京駅他各地にもレプリカが展示してあります。
刀根山城址は中環を隔てた阪大の向かい側、刀根山常楽寺敷地内の片隅にあります。
有岡城攻めでは、稲葉一鉄などが詰めていたようです。大河では村田雄浩さんが演じていましたが嫌な役で可哀そうでした。
石碑よりお寺の伽藍のほうが特徴的です、グレイとか降りてきそう。
また付近には江戸時代に豊島郡(豊中池田箕面など)を治めていた麻田藩の屋敷跡などが移築されています。
少し南下すると蛍池地区の由来になった蛍池があります。
もともと蛍池地区は麻田藩が治めていたため豊中麻田という地名でしたが、小林一三の「麻田駅は普通過ぎてつまらん」という一声で、刀根山地区の蛍池から駅名が取られのち地名も蛍池に改名されました。
池の奥、マンションが建っていたあたりに石垣跡があったようですが今は片鱗もありません。
マンションから池を見て直線上に有岡城があるので、砦からも目視で城を監視できたのではないでしょうか。